令和元年 6月定例会
令和元年6月18日 (一般質問)
遠藤久仁雄 (志太創生会)
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(1) 「ふじえだ花回廊事業」のさらなる発展を目指して
(2) 偉大なる郷土の俳人「村越化石」について
標題1.「ふじえだ花回廊事業」のさらなる発展を目指して
市が花回廊事業の基本構想を発表したのは、平成27年(2015年)3月であった。その2年後の平成29年3月には、世界一長い花の列の世界記録に挑戦し、見事ギネス世界記録に認定された。蓮華寺池を約2周する3117.17メートルに、パンジーなどのプランターを隙間なく5100個も並べるという大事業であった。そして現在この花回廊事業は多くの協力者を得、著しい成果を収めていると感じている。特に、近年、私たちを取り巻く環境が見直され、安全・安心で心地よい生活環境が求められるようになってきた。花回廊は市民が身近で取り組みやすい環境活動であり、ボランティアとしての人手はかかるものの、他事業と比べ市予算は少なくて済む。市民活動としても成果が目に見えるものであり、その美しさを誰もが享受できるなど、たいへん意義の高い事業となっている。これからも住みやすく美しいまち「ふじえだ」を目指し、市民と一体となって進める本事業の更なる発展を願い、質問をする。
(1) これまでの花回廊事業の進展を、どのように評価しているか伺う。
(2) 本年度開催した事業である「癒しの庭オープンガーデン巡り」について、その内容と成果を伺う。
(3) 今後のさらなる発展を見据えた時、どのような計画をお持ちか伺う。
標題2.偉大なる郷土の俳人「村越化石」について
『望郷の目覚む 八十八夜かな』 これは藤枝市岡部町出身の俳人、「村越化石」氏の俳句である。この句が刻まれた石碑が、岡部町殿にある玉露の里入り口に建立されていることを、ご存知でしょうか。「村越化石」は大正11年(1922年)12月に当地で生まれ、15歳で志太中学校(現在の藤枝東高)に入学するも、難病治療のため退学を余儀なくされ、昭和13年(1938年)16歳で離郷し、東京で療養生活を始めた。昭和16年(1941年)以降は、群馬県草津町の国立療養所栗生楽泉園に入園し、平成26年(2014年)3月に満91歳で亡くなられた。実にこの間75年という年月を、故郷を離れ、主に草津の地で過ごすこととなった。この間、一度も故郷に帰ることができなかったが、平成13年(2001年)に岡部町でその活躍が知られ、石碑が建立される運びとなり、平成14年(2002年)に記念式典に参列し、実に64年ぶり80歳になって、ようやく郷里の土を踏むことになった。すでに失明し、車椅子に乗り立ち上がることも困難であったが、氏の郷里に対する思いを考えた時、その句と共に言葉では言い尽くせない思いが伝わってきたのだった。岡部町では、早速「村越化石(顕彰)俳句大会」を企画し、町内外から多くの俳句を募集した。その後この大会は平成21年(2009年)の市町合併で藤枝市へと引き継がれてきている。「村越化石」の足跡をたどり、その生きざまから多くを学び取ることの意義は大きいと考え、以下質問をする。
(1) 藤枝市出身の文学者の中で、「村越化石」をどのように位置づけているのか伺う。
(2) 平成3年(1991年)に紫綬褒章を受章するも、平成13年(2001年)になって、ようやく故郷の岡部町でその名が知られるようになった。そのため、他の文学者に比べ、知名度が低いと感じられる。市民に広く知ってもらうための今後の方策について伺う。
(3) 改めて郷土出身の「村越化石」の生き方を知ることにより、同郷である私たち市民にもたらされる効果を伺う。