令和3年藤枝市議会定例会2月定例月議会
令和3年3月1日 (一般質問)
大石信生 (日本共産党)
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(1) デジタル化時代の市民協働≪ふじレポ(仮称)≫の提案
(2) 「宇津ノ谷」 歴史・文化遺産としての尽くせぬ価値の継承について
標題1:デジタル化時代の市民協働≪ふじレポ(仮称)≫の提案
(1) 市民要望をオンラインで
膨大な数の住民要望にどう対応するかは、自治体にとって最重要課題だが、この分野は従来からアナログの世界だった。これをデジタル化して、例えば道路の穴ボコとか、公園の遊具が壊れているといった身近な課題を、市民が撮影してオンラインで市に送るといった方法に新たに踏み出したらどうか。市民から市役所に送られるレポートは、Webに公開され(仮にこれを「ふじレポ」と呼ぶとすれば)、この「ふじレポ」を開けば、地域の課題が市役所のどの職員でも見ることができ、同時にレポートを寄せた以外の市民も誰でもが見ることができるようになる。市民からのレポートを受け取った市役所の担当部署は、現場を含む必要な調査をおこない、どのような対応をするかを検討して、その結果を「ふじレポ」に公開する。こうして身近な課題を市と市民が共有しつつ問題を解決していく市民協働システムである。言い換えれば、ICTを使った「藤枝市民協働レポート」(ふじレポ)、アナログからデジタルへの転換である。このような仕組みづくりが必要ではないか。
(2) 市民要望の情報をオープンにすることの効果
従来市民要望は提出者以外に知られない状態に置かれていた。私自身も多くの要望を出してきたが、それがどうなっているかわからない状態でもあった。クローズだった市民要望が、「ふじレポ」によって市役所と市民の両方で、オープンなものとなる。
道路の穴ぼこや遊具の壊れなどは、早い段階で解決方法が「ふじレポ」上に示され、その情報は全市的に広く見ることができ、市民の市に対する信頼はクローズだった時代よりはるかに高まるに違いない。こういう方向に進むことへの市長の見解を求めたい。
(3) 市民協働の発展
市民協働は、「ふじレポ」のように市と市民がWebでつながり、Web上で意見交換することで大きく発展する可能性を持っていると思う。最初は穴ぼこや遊具の壊れといった身近な小さな問題から、中・長期的な政策問題まで市民と市が意見を交流するようになれば、市民参加、市民協働は大きく発展する。この方向への市長の見解は、如何か。
標題2:「宇津ノ谷」 歴史・文化遺産としての尽くせぬ価値の継承について
境界線を跨いで静岡市に連なる宇津ノ谷一帯は、古くから峠越えの難所として知られ、「伊勢物語」をはじめ、数多くの和歌、そして浪曲「野狐三次」や歌舞伎「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)」の舞台となった場所として、また俵屋宗達や歌川広重などの絵筆によって世に送り出された、いわば歴史、文化・芸術、浪漫の宝庫である。
とりわけ宇津ノ谷の日本一ともいえる凄いところは、平安朝から江戸、明治、大正、昭和、平成というそれぞれの時代に造られた6本の歴史の道と4本の歴史のトンネル(幻のトンネルを入れると5本になる)が、年代を追ってほゞそのまま現存しているいわば「峠越えの道の博物館」と呼べるような貴重な場所であり、これだけ峠越えの歴史が往時のまま現存している場所は日本全国広しといえどほとんどここだけと聞いたことがある。
しかし、これだけの価値ある歴史・文化遺産が、正しく継承されているとは、私には思えない。
どういうことかというと、峠越えの道は令和元年に文化庁によって「歴史の道百選」に追加登録されたが、登録された峠越えの道というのは6本全部ではなく、江戸の道一本のみである。さらにこれより先、4本の歴史的トンネルが「宇津ノ谷隧道群」として土木遺産に認定されているが、こちらもこれから述べる幻のトンネルの存在は触れられていない。かなり物足りない感が深い。
(1) 「峠越えの道の博物館」 の検証を
6本の歴史の道と5本の歴史のトンネルとは、すなわち、平安朝の「つたの細道」、つぎに小田原攻めの豊臣秀吉が2万の軍勢を引き連れて通ったとされる「江戸の道」、それから明治の道と明治トンネル、大正の道と大正トンネル、昭和の道と昭和トンネル、平成の道と平成トンネル、それに加えて次の項で述べる幻のトンネル、これらが歴史の面影を残して年代を追って一カ所に残っているところは全国にほとんどないと言われている。それはまさに「峠越えの道の博物館」と呼んでいいと思う。ここをしっかり検証し、継承していく必要があると考えるが如何か。
(2) 静岡市と連携し、「幻のトンネル」の発掘・復元を。
じつは土木遺産に認定された「宇津ノ谷隧道群」4本のほかに、いまの明治トンネル以前に掘られて落盤で埋まったままになっている幻のトンネルが現存する。峠越えの苦難解消のために、岡部・内谷村の杉山喜平次ほか6人が結社をつくり、お上に願い出て当時安倍川に橋が架かったのであぶれた川越人足を使って明治9年に貫通させた我が国2番目の、そして日本最初の有料トンネル(銭取りトンネル)名称は明治第1トンネルである。この有料トンネルは明治27年、トンネル火災で落盤が起こって埋まってしまった。トンネルはくの字(静岡側から見て)に掘られていて、のちにトンネルの半分に当たる岡部側はふたたび掘られて明治第2トンネル(現在の明治トンネル)に生まれ変わるが、くの字になっている静岡側は埋まったままである。これが掘られれば、幻の明治第1トンネルが姿を現わし、宇津ノ谷の峠越えの歴史的・文化的価値は、いやがうえにも高まることになる。静岡市と連携するには、もってこいの胸躍る事業ではないか。この事業が完成することにより「宇津ノ谷隧道群」が初めて完結したと言えると考える。如何か。
(3) 荒れが目立つ「つたの細道公園」
先日、建設経済環境常任委員会が宇津ノ谷一帯を視察した際、「つたの細道公園」も歩いて見て回ったが、随所で管理の手が入っていないことからくる「荒れ」が目について気になった。「つたの細道公園」は、旧岡部町の時代に県の支援を受けて整備し、散策しながら幾首かの和歌を鑑賞できたりする文学的風格をもった公園として町外の方にも評判が良かったが、メインは木和田川を治めた8基の歴史的な堰堤があることで有名であり、必要な手入れはやるようにしていただきたいが、如何か。