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質問通告内容

会議名

令和3年藤枝市議会定例会11月定例月議会

質問日

令和3年12月2日 (一般質問)

議員名

大石信生 (日本共産党)
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通告内容

(1) 深刻な環境汚染の恐れ―猛毒ヒ素・セレンの埋立処理について
(2) 知られざる宝「益頭郡衙」の復元(史蹟保存)を

質問要旨

標題1:深刻な環境汚染の恐れ―猛毒ヒ素・セレンの埋立処理について

 クリーンセンター建設に当たって、地元仮宿地区に約束した附帯施設の用地として藤枝市が購入した土地に、最近、道の駅をつくる計画が突然浮上した。そして、この道の駅には、藤枝バイパス4車線化工事による潮トンネルの掘削土を埋立て、この掘削土には、環境基準を上回る猛毒砒素やセレンを含む「要対策土」が処理されるという。国土交通省は、「要対策土」をペントナイトという粘土でくるんで道の駅の地下に埋めるので絶対大丈夫と言っており、市も今のところ国土交通省の言い分をオウム返しにして同じ説明をしている。

 先ず明らかにしておきたいのは、道の駅構想は地元仮宿住民が望んだものではないことである。市が地元対策として約束した附帯施設用地は、クリーンセンターと道路を挟んだ向かい側に面積1万4000平方メートル 金額1億1千7百万円 9月定例月議会で議決したばかりの土地だ。

(1) この用地に「要対策土」を埋め立てた場合、上部には建物を建てることが出来ない。建物の土台を支える杭が粘土でくるんだ有害物質を貫通するからである。道の駅には広い駐車場も必要で、結局、道の駅の施設以外に地元要望対策としての附帯施設を設けることは、現実には不可能になるのではないか。

(2) そうなると、市は大金を出して別の土地を新たに求め、そこに地元要望に応える施設を設けることにならざるを得ないが、それは十分に可能か。

(3) 道の駅と「要対策土」埋立は、セットになって国土交通省から提案されており、道の駅構想は、もっぱら有害重金属を含むトンネル掘削土の埋立対策として出されたものと地元からは受け止められているが、まさにその通りではないか。

(4) つぎに、国土交通省の情報の出し方は、意図的でウソも言っている。
 自然由来の重金属の鉱脈は、日本列島のいたるところに存在している。早い話がリニア新幹線の南アルプスルートが絶対に不可能とされる8つの理由の一つに、ウラン・重金属鉱脈の存在が挙げられている。ウランやカドミウムなどを含んだ残土の受け入れは、どこも難色を示し、解決の目途が立っていない。北海道新幹線では、ヒ素、セレン、鉛、カドミウムなどの自然由来の「要対策土」の受け入れ先が困難で工事が遅れていることをはじめ、じつは全国各地でこの問題で住民運動が起こっている。
 国交省は、列島各地で問題化していることに一切触れず「自然界に広く含まれている」とか、「人体に必須の微量元素」だとか言って、この問題を小さく見せよう、まるで無害に等しいと言わんばかりの意図的な説明をしている。本当のところはどうか。「自然由来」つまり天然の状態で、有害元素を高濃度に含む地質帯にぶっつかることがある。大問題なのは、わが国の「土壌汚染対策法」は自然由来は対象外だということである。しかし近年それでは済まないことが住民運動で明らかになったが、ここで重ねて大問題なのは、対処方法が確立されていないことである。藤枝市民はいま「対処方法が確立されていない」難問題に直面させられている上に、国交省によってウソの説明を受けている。
 そのウソとは、2021年9月27日付け 仮宿町内会臨時組長会資料(関係者限り)「仮宿地区地域振興拠点(道の駅)構想について」の中に、「5、要対策土について 対策事例」があるが、ここに載っている事例はいずれも問題ないものばかりで、つまり国交省の説明は実際に問題ないに終始しているが、これは真っ赤な嘘である。現に国交省が問題ありと認めて、「要対策土」の埋立計画を撤回した例を私は知っている。それは岐阜県・山県市。山県は県と書く人口2万6千人の合併の新しいまち。東海環状自動車道のトンネル工事で、ヒ素が出て、これを市のグランドの地下に、遮水シートにくるんで埋めるという計画が市民の反対で撤回された。モニタリングをやるからと言ったが、市民を納得させられなかった。ここは遮水シートだが、劣化とつなぎ目の接着が問題で、各地で遮水シートは有害物質の漏えいを引き起こしている。結果として山県市では市民が勝利し、「要対策土」は愛知県の処理工場へ運ばれることで決着した。(その記録がこれ)。福島第一原発の放射能汚染水はアルプスという処理施設でも完全には無害化できないが、重金属は無害化が可能で、現に処理工場に運ばれ、処理されている。運搬費に金がかかるので、こうした事実はひた隠しである。しかしこれこそが真の解決方法ではないか。山県市では、ヒ素は基準最大10倍だったが公表されず、市民は国交省にウソをつかれていた。公が市民にウソをつくことが許されるか。この二つに、しっかりお答えいただきたい。

(5) では、つぎに、ヒ素とセレンの毒性とはどういうものか、その毒性が、どういう形で土壌汚染や地下水汚染を引き起こすか、について質問する。
 じつは、私は、今回とまったく同じような問題に直面して、地域住民と環境を守った経験を持っている。昭和50年、いまから46年前、岡部町議の時代、当時、志広組は、驚くべきことだが不燃ごみの処理を地面に大きな穴を掘って埋め立て処理をしていた。任務分担で新しい埋め立て処理が旧岡部町に廻ってきた時、当時の町長は、ある建設会社の所有地である川原町の山際に白羽の矢を立てた。住民は反対運動に立ち上がり、周りは全部賛成で川原町住民の味方は私唯一人だったが、大闘争に発展した。焦った町長が工事を強行しようとし、川原町のほとんどの世帯の住民が一つしかない通り道である高橋(たかばし)の前でピケを張って工事を阻止し、そこで当局は一計を案じ、当時の厚生省、国立公衆衛生院の岩戸武雄博士という環境行政のトップに君臨していた学者を呼んで、川原町住民の説得にかかったことがあった。
 岩戸博士は、案の定、大丈夫だと講演で力説した。質疑応答になって、私が、不燃ごみであっても土壌汚染、地下水汚染を引き起こす可能性があるのではないか。例えばビニールには安定剤としてカドミウムが入っているが、長い間に土中の微生物によって分解され地下水に溶出すると聞いている。地下水へ入れば町水道にも影響するのではないか、とただした。ある研究機関から寄せられた、ほとんど一夜漬けの不得意な化学の資料による私の質問に、最終的に岩戸博士が「君の言うことにも道理がある」と言った。町長がまずい顔をした。川原町住民が勝利した瞬間だった。この日を境に、不燃ごみは埋め立て処理から、リサイクルセンターによるリサイクル方式に、大きく転換することになった。
 道の駅の敷地内に粘土でくるんだヒ素やセレンが埋められた場合、頼みとする粘土の厚みは、わずか50センチしかない。重機がちょっとこねただけで50センチの粘土は穴だらけになる。あんこをくるむようなわけにはいかない。これで重金属を閉じ込めるというのは、絵にかいた餅みたいなものではないか。この滲出防止対策は、永久的に効果あるものでなければならないが、その検証が十分に行われていると言えるのか。聞きたい。月1回数カ所のモニタリングで地下の汚染状況がとらえられるほど単純な問題であるか。お答えを願いたい。
 ヒ素およびヒ素化合物は、人体に対して非常に有害である。ヒ素およびヒ素化合物の発がん性は、最もリスクが高い「グループ1」に分類されている。現場は、朝比奈川の伏流水や地下水の水脈が豊富なところと推測され、住民の簡易水道がある。簡易水道が汚染されたら上水道に切り替えればよいなどと呑気なことを言ってはいけない。そうなったときは仮宿を中心に深刻な汚染が広がったときで、取り返しがつかないことを知るべきではないか。
 セレンは、人体には体重1 kgあたり、約0.17 mg程度含まれると言われ、1975年にヒトでの必須性が認められた。同時に欠乏量と中毒量の間の適正量の幅が非常に狭く、セレン過剰症として、吐き気、下痢、頭痛、免疫抑制、高比重リポ淡泊(HDL) 減少などの症状が言われている。軽視できない。
 これらの汚染は引き起こさないというのが、環境日本一の行政ではないか。市長の見解を求める。

(6) これを受け入れるには、十分な市民的検証が必要である。
 市は、当面、国土交通省に対して、掘削土埋立てと有害物質滲出対策の具体的かつ詳細な工事設計書等の公開を求め、これに対する市としての客観的で十分な科学的検証を行うべきではないか。

標題2:知られざる宝「益頭郡衙」の復元(史蹟保存)を

(1) 市民が知らない「益頭郡衙」の存在、このままで良いか。
 大井川や瀬戸川の堆積物によって形成された志太平野には、古代から人間の営みの跡が多く残されているという。律令時代、瀬戸川を挟んで西側に駿河国・志太郡(するがのくに・しだごおり)が、そして東側に駿河国・益頭郡(するがのくに・ましずごおり)があり、そこには郡役所であるそれぞれの郡衙が存在していた。(益頭のズは頭と書き、本市で現在使われている津ではない)
 駿河国・志太郡については1977年(昭和52年)に「志太郡衙」からの発掘・復元で広く知られるが、もう一つの駿河国・益頭郡については、昭和56年から平成18年までの第六次に及ぶ発掘調査によってその存在が明らかにされ、詳細な発掘記録が6冊にまとめられて市立博物館にあるにもかかわらず、その事実を市の幹部をふくむ職員さえほとんど知らず、その位だから、多くの市民はまして知る由もない状態に置かれている。この状態のままにずっと置かれて行くことで良いのか。まず見解を求めたい。

(2) 二つの郡衙…日本一かも知れない文化的価値の検証と発信。
 ご承知のように郡衙とは、奈良・平安時代に全国の郡ごとに置かれた古代の役所で全国におよそ600カ所置かれていたが、現在ではその場所がほとんど分からなくなっていると言う。そうしたなかで志太郡衙は駿河台団地造成の過程で偶然に見つかり、昭和55年に国の史跡に指定され、同57年度から国・県の補助金を受けて板塀・門・井戸・建物の復元、志太郡衙資料館の建設をはじめ建物の表示(柱跡の掲示)、環境整備、万葉植物園の整備が行われ、その希少価値的存在は文化庁から極めて高く評価されている。(文化庁の評価と本市の現実の位置づけにはかなりの落差が感じられるが)。
 南駿河台1丁目にある志太郡衙は、本市の西側から島田市にかけての地域を治めていたものと考えられている。一方、益頭郡衙跡が見つかった立花地区が、昔から郡(こおり)と呼ばれて来たことには意味があったんだと思う。発掘によれば益頭郡遺跡の建物遺構は、志太郡衙を凌ぐものを含んでいるとされる。益頭郡衙発見の意味は、極めて大きいのではないか。市はどう評価しているか伺いたい。
 瀬戸川の流れの変遷とともに二つの郡域は変化したであろうが、ともかく藤枝市の市域に二つの郡衙跡を持っているということは、全国で郡衙跡がほとんど分からなくなっているという状況のなかでは、これ自体すごい出来事であり、日本一かも知れないということではないか。市長の見解は、如何か。
 益頭郡遺跡は、昭和20年代に入ってからの国道工事や昭和40年代の土地改良事業などに伴って大量の土器や石器が偶然にも見つかったことで、幸いにも昭和56年からの学術調査につながった。ここまでの成果をさらに発展させ、文化的価値の検証と発信に、市は取り組まなければならないのではないか。

(3) 「益頭郡衙」の復元(史跡保存)を検討してはどうか
 幸いなことに現地は、土地改良が施工されたおかげで、開発行為が規制されており、復元(史跡保存)して世に出すことは十分に可能と思われる。検討を開始してはどうか。ただ、我が国の貧しい文化財保護行政の下では、なかなかむつかしい課題であることも事実である。益頭郡衙跡が発見され、一定の調査は法に基づいて行われてきたが、文化財保護法には、遺跡を調査しなければならない規定はあっても、現状保存するための規定がない。そのため、緊急発掘調査がきわめて多い日本において、研究者や市民から遺跡保存の声があがっても、結局は現状保存がなされず、破壊されてしまう場合も少なくなかった。この現実を何とか乗り越えて、二つの郡衙を持つまちに進んでいくことが必要ではないか。

(4) 志太郡衙の課題について
 一方、発掘から44年が経つ志太郡衙については、市は課題を残したままになっているのではないか。その課題は、どういうものと考えるか。課題解決への道すじは、描けるか。

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